昭和41年09月23日 夜の御理解



 今朝私は、こんな夢を頂いて忘れておったが、いま御祈念中に思い出させて頂いた。椛目のある総代さんなんです。が、そのお寿司を食べに行ってるらしいんですよね。そのお寿司を食べに行ってから、帰ってからの話をしてるんです。腹かいて。私がそのお寿司屋に行ってからね、あれを握ってくれこれを握ってくれて言うたら、ぶうっとはらかいて、握って貰えじゃったて言いよりなさるのですもん。
 隣の奴には、ほんに愛想良うこうやって握ってやる。私には握ってやらじゃったと言うて、はらかいてここで話しておる、ある総代さんがあるという様なお夢でした。私達が良く申しますですね。それもやっぱ、神様のご都合じゃろと思いますと。やっぱそれもまたご都合だと、と言いながらね、不平を言い不足を言うておったんじゃ、もう神様のご都合も、あったもんじゃないですね。神様のご都合であると思うたら、どういうご都合かと思うたら、人にはらかいて話すだんじゃありませんもんね。
 自分の心の中に、例えば私がこうして握ってくれと言うたけれども握ってくれなかった。恐らく良くよく考えて見よったら、この前んとば食べてから、払うとらんもんじゃけ、握ってやらん筈たいと、言った様なものが分からにゃいかん。本当に私が言うたけれども、他の人には愛想良う握ってやりよるのに、私にはぶうっとしてから握ってもらえじゃったと言うて、腹かいておるという事は、何かそう言う様な事があるのですよね。商売人ですから、握ってやらん筈は無いです。
 けどもあぁた払やせんなり、支払いはせんなり、また食べるち言うたっちゃ、誰が食べさするかと言うて、ぶうっとその寿司屋の方は、はらかいておるとに違いないのである。ね。そこんところを思い当たらずに、私が言ったのに握ってもやらじゃった。ぶうっとはらかいておると言うて、自分も腹かいてから人に話しよると言った様な事がです、私共の、日々の中にありはせんだろうかと。
 そら神様のご都合に違いは無いと。ね。もうどんなに辛う当たられても、ね。どんな事があってもです。それを神様のご都合であると思うたらです、人にどん話すだんじゃないです。自分の心の中に、本気で思うて見る。はぁ神様のこう言うご都合じゃったと思う時に、そのことが生きて来る。そのことが有難うなって来るのですよね。ちょっとしたその、ま、お夢からそんなヒントを与えて下さったんですけれども。
 本当に神様のご都合ならご都合らしゅう、本当に自分の心の中に、頂きぬいていかなければならん。人に、神様のご都合じゃろち思うばってん、私が行ったばってんあんた、ぶーっとして、握ってもくれじゃった。他んもんにどんどん握ってやってからと言うて、腹かいて話しておるようなことが、私共の日々の中にありはせんだろうかと言う様な事を思いますね。
   どうぞ。